切ない時って、

「うちは両親とも共働きだったのでちいさいころから祖母に育ててもらいました。88才、年末から体調をこわし、先程亡くなったと連絡あり。とりあえず自分だけバスで帰っています。じーっとしてると涙がでてくる。くるしいよー。(中略)」と、公私にわたりお世話になっておられる方からの悲痛なる一報が入った。青に出来ること、先ずは電話をどのタイミングで行うかギリギリまで考えていた。 青も同様なことが彼の昔(十数年前のことだが)、盛岡在住におり、祖母の訃報を聴き駆け付け、時間だけが止まっているようで動いている不思議な体験をする。その10日後、祖母を追いかけるようにし、祖父が亡くなる。出る涙が本当にないこと、かなり冷静になっている自分のこころ。当時、両親は本当に大変だったようだ。祖父の葬儀後、真っ先に青自身がほどなく疲労もピークを過ぎ、病院の厄介になるのだが。点滴の下手さは天下一品の病院での出来事は、後年、医療経営の支援業務の際に十分過ぎるぐらい役には立った。 ひとりバスで向かった上記の方へは、深夜遅くに電話がつながる。まだ、祖母の顔が見られないとのこと、青としては食べ物だけでも口に入れて貰えれば、との思いから話す。驚くほど食欲は旺盛とのことで、この点は安心した。何時になく元気に振る舞うような感が拭えない電話での空間ではあったが、青等の世代は、やはり、おじいちゃんやお婆ちゃんと共に過ごせた幼少期が「ある」という特権は、こころから両親に感謝致したい。 翻って、現況である青ンちの場合、長男・次男等に同様な「こころ」を構築出来ていないことに、あらためて認識した日でもあった。机上論でない物事の「侘び寂」は、この時代に触れるものであるはずだ。出来ない環境を嘆いても始まらず、大いに子供等へ語りに語り、時間を見つけては、それに近い環境を是非体験させてあげたい。 「老人力」は、人間形成の中で最も大切な一つじゃないかと思う。「報恩感謝」の思い、「心こそ大切なれ」とは正に至言そのものだ。 ~ 宜しかったら、人気blogランキングへ 応援を ! ~
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です