根源のチカラ、

過日、「教育力、」について、綴ったのだが、早速、佐藤さん「らしい」有り難いメールを頂く。

「教育力」について

平成乙酉年水無月9日

大変難しいテーマです。

教育といっても、全知全能の神ではありえないのだから、自分が教わったこと、感じたこと、考えた事を伝えていくことだと思います。ここで大事なのは、単に伝えるだけでは右から左へと頭の中を素通りしてしまう。

如何なる課題にも自信をもって堂々と、悠々と挑戦していく「活力」をいかに発揮させるか?

いいかえれば、「人の心に火をつける」にはどうしたらよいのか?また、「その火を、どう渡していったらいいのだろう?」と、こういうことではないでしょうか。

あるエピソードがあります。

20年くらい前のある新聞に、「私の青春」とかいう題だったと記憶しておりますが、「恍惚の人」で知られる有吉佐和子さんの娘さん玉青さんが、小学校時代を振り返って書いておられた。

その中の、生徒会長選挙のことである。

皆から推挙されたにもかかわらず、尻込みをしていた本人に先生は『自分のもっているものは、人に役に立てなければならない。』と、おっしゃって、自分を奮起させてくださった。そのときの自分は、本当に恥ずかしい位引っ込みな子であったと。

玉青さんは、よき出会いをされたと思います。その先生は玉青さんの心に火をつけられたと。私はその言葉を折りにふれ心に刻み、子供たちにも話すことがあります。

今や、玉青さんはニューヨーク留学され、執筆に励んでおられる。その火を人の役に立てておられるとおもいます。

言葉の力とは、不思議な力だと思います。

あまり答えになってませんが、神さまでございませんのでよろしくお願いします。

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佐藤さんが指摘されてる、

「人の心に火をつける」にはどうしたらよいのか?また、
「その火を、どう渡していったらいいのだろう?」と、

永遠の課題なんでしょうが、すっごくシンプルでもあると!

例えば、
自分自身が正坐をし続けたら、何処かの時間帯で「足がしびれる」。至極当たり前のようなことなんでしょうが、唯一、座ってなければ、しびれの痛さが、それもこの「自分自身」が体験するところに意味があると、青っちはいつも思うし語ってます。

そう、しびれた方が、真摯にそれも誠心誠意、相手のことを「思える」ことが真剣であればあるほど、佐藤が仰る、「火」は自然と渡されるんだと思う青っちです。

「教育の営みは、言わば、永遠の大地に種を蒔き、永遠の大河に滴(しずく)を注ぐ、ロマンの労作業である」と、世界の冠たる桂冠詩人が常々語られている。

未来を開き、未来を育むと云っても、その主体は、「ヒト」にあると云っても過言じゃぁない!

ヒトをつくりあげる事業こそ、教育にほかならないんだから。。。

ヒトの内なる無限の可能性を開き鍛え、その「エネルギー」を、「価値の創造」へと導くものこそ教育でもあるんだよね。

教育は、社会を築き、時代を決する、「根源のチカラ」だ!

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