勉強会お疲れ様です、

朝早くから、JRチケット取得のため思案。東京の方は、東日本や東海という大人との付き合いがあるため違和感がないだろうが、こと西日本と九州そして、東海の「絵図」には、ほとほと利用者は迷惑千万。しかしながら、その情況下で行える「やり方」があるのも事実だ。(ニヤリ)

「満席」状況であればあるほど、試す価値があるってもの。今回は自分ものでもあり、チケットは楽勝で取得可能な感触を得、昨日綴った海岸を見下ろせ、四季折々を感じさせてくれる墓苑へ足を運ぶ。父方の祖父・祖母が生前以上に仲良くいる。かなり寒さが堪えたが、冬の海色も大好きなだけに暫し海を見つめていた。

父の妹にあたる伯母が、今なお週に1回は、掃除(実際は会話ですが)をしに来られてることもあり、周囲の墓前の中でも質素でありながら「気品漂う」お墓は他にない。今では叔父(伯母のご主人)のお墓も近くにあり、長男・次男等の年代だった頃の『自分』とを対比。

使命ある人生をどう生き抜き、只今臨終(生死一大事)の「その瞬間」に、『オワリ』と、大満足の人生の閉幕を意義づけていた、秋谷 重兵衛氏。この3文字は、世の云う偉人であれ、そうそう簡単に書けるものではないことを、学生時代に諸先輩方から教わる場面が、脳裏に映しだされて来た。

東京は神田岩本町の綿布問屋の長男として育った重兵衛氏。尋常高等小学校を出ると大阪の結城問屋に丁稚奉公。その間下の弟等を大学へ通わせるため働く。何事も辛抱強く、ひとつのことに徹する姿に、「明治男の気骨」をみる思いがしたとは、桂冠詩人の言。

歴史の紐を少し解けば、ちょうど本日(1月4日)にあたる日の夜、重兵衛氏は紙と鉛筆とで『遺言』を書かれる。わずか3文字の『オワリ』と。翌5日、多くの孫や御家族に囲まれながら静かに逝く。享年76歳。

「苦労人でしたけど、一年ぐらい前から、『もう所願満足で、いつ死んでもいい』と、ニコニコしながらいっていたんですよ。最後が、いちばん幸せそうでした」と奥さまが語られている。

「オワリ」

この3文字からしても、表舞台で活躍される方もおられれば、舞台裏で重兵衛氏のように、黙々と愚癡ひとつ云わず、非凡の中にこそ輝かしい一輪の「蓮」があることを、あらためて学び直す。

その後、きちんとチケットを目的地まで取得しては、約束通り「勉強会」を行う。スポンサー様はじめ、主催企業および、ご参加されました方々に厚く御礼申し上げます。<(_ _)>(完全非公開であるためこの件はここまで。)

PS、
やはりタイミングが大事。近々(今月)にも名古屋駅を経由して行きます。少しの時間、ゆっくりでもいいので宿題をしながら、真剣勝負を前に思考し抜いてて下さい。

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