音読宿題を聴いて、

「題名は、『火の山のおじいさん ある山番の話』。今から読むので聞いていてね」と、大きな子供に向かって話す長男。1回目の読了まで布団の中にいたのだが、起きあがって再読を促してみた。通り一辺倒だと気付かぬ箇所が随所にある。この物語は旬であり且つ奥深い。

火の山のおじいさん ある山番の話

5月になると、山の雪がとけます。

くものきれまから、たかいみねが、すがたを見せます。みねには、いつも、けむりがのぼっています。「さあ、そろそろ、したくをするか。山の神さまも、おまちだで。」

おじいさんは、くわをかついで、そとへでます。ひとりで、ずんずん山のほうへのぼっていきます。いちばんはじめの仕事は、冬のあいだにこわれた登山道を、なおすことです。

どこの、なんて山?軽井沢と小諸(こもろ)のあいだに、もっくりそびえている火山ー浅間山です。おじいさんは、50年ものあいだ、『火山館』という山小屋にすんで、たくさんの登山者たちのせわをしてきました。

火山は、ふつうの山とちがい、ときどき、おそろしいいきおいでばくはつします。たくさんの灰や、まっかにやけた火山弾という石の雨をふらせます。そうなったら、登山者はたまりません。

いつか、こんなできごとがありました。

元気のいいわか者が6人、『火山館』へやってきました。ちょうど、そのとき、浅間山には、ばくはつのまえぶれの、ぶきみな山なりがしていました。

「いまのぼったら、あぶないで、ちょう上へいくのはやめろや。この小屋にいりゃあ心配ないが。」おじいさんは、おだやかにとめましたが、わか者たちは、「なんだい、じいさん、のぼるのは、こっちのかってさ。ばくはつするのら、なお、おもしろいぜ。」といって、どんどん、でていきました。(あのとき、わしは、ちからずくでも、とめればやかっただにな。わしのしっぱいだった・・・。)

おじいさんは、あとで、心からくやみました。6人のわかものたちがちょう上へついたころ、ドドドドド ドドーン。と。火山がばくはつしたのです。まっかな火柱が、天までとどき、やけただれた石の雨が、ふりそそぎました。「おーい、もどってこい、もどってこいや!」でも、ひとりとして、わか者たちは、もどってきませんでした。

ばくはつは、いく日かして、やみました。

おじいさんは、あついすなをふんで、6人のわか者を、さがしにでました。まい日、まい日、ちょう上ちかくをさがしまわりました。すると、40日もすぎてから、白い骨になって、すなのなかにうまっているわか者を、つぎつぎ見つけたのでした。

かなしいできごとは、50年のあいでに、なんべんもおこりました。

だから、おじいさんは、あぶないなとおもうと、「ばかめ!わしのいうことがわからんだかや。いのちは、一つしかのいものだに。」といって、どなりつけました。それから、おじいさんをこまらせたのは、浅間山へ死ににくる人があったことです。いまはほどんど耳にしませんけど、すこしむかしには、ときたま、火山の口へとびこんで、自殺しようとする人があったのです。

そんな登山者を見つけると、おじいさんは、じっくりと、いってきかせました。「ひとはみな、あせみずたらして山へのぼるだ。おめえさまも、やっぱり、あせみずたらしてのぼってきなした。それほどくろうしてまで、死にたいっていうなら、どんだけの仕事でもできるもんだに。さあ、家はかえって、あせみずたらして、はたらきなされや。」

おじいさんのことばをきくと、たいていの人は、心をいれかえて、かえっていきます。そして、(あのときは、ありがとうございました。自殺なんかしないで、ほんとうによかった。いま、元気ではたらいています。)という、手紙をくれるのでした。(そうか。よかったな、よかったな。)おじいさんも、それを見ると、ほんとうにうれしくおもったそうです。

小諸の街に住み、このおじいさんをよく知っていた人は、「あの金重じいやんかね。火山館にとまった者に『朝めしはくわんでも、みそしるだけはのんでけ。そうすりゃ、霧にまかれねだから』なんて、よくいってたの、おぼえてる。」と、おもいでを語ってくれました。

浅間山の小山金重おじいさんは、もうとっくになくなりました。けれど、日本の山には、このようなおじいさんがあちこちにいて、登山道をひらいたり、登山者をまもったりしてくれたのです。

今度は、大きな子供が次男に読み始める。時に触れ、次男が容赦ない角度から「質問」を開始。答えに給する窮する場面では、長男が変わって答える図式。なかなかいい傾向だ!

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