「サンマ」

現代の社会から「時間・空間・仲間」又は「時間・空間・人間」の3つの「」 が消えたことを『社会からサンマが消えた』と、こんな象徴した言い方が 使われている。 (ここで言う人間は、人間関係とか対人関係の意味で使われる事が多い) 以前は、遠くの人に何かを伝えたいとき手紙が唯一の手段でした。そこに は手紙が行き来する“時間”という「」があり、また時候の挨拶、次に相 手の安否を尋ね、日頃の無沙汰を詫びていて、とても風流であったように 思うんだ。 電話が誕生した時、“空間”は無視され日本全国はもちろん海外にいる人 とでも簡単に話が出来るようになった。 しかし、電話では複雑な道順や場所等、仲々上手く伝わらず電話で教え ていると、もどかしさを感じることが多いっしょ!電話では目の役割が出来 ず、聞き間違いが発生するからね。 FAXが誕生したことにより、相手と言葉を交わすことなく用件が伝わり、 電話と手紙の欠点を補う目の役割もして、又電話のように受け手の都合 “時間”も考えず突然ベルが鳴る強引さはなくなった。 ただ、電話と違い、直接言葉を交わさないので、送り先を間違えても分か らないのが欠点ではないかと。 最近では、我が世の春とした「携帯」が普及で“電波恐怖症”や“親指族” が増えている。 携帯の電波の届かないところにいると不安になり、常に電波の状態の良 いところへ行こうとする人が増えていることを知り、便利になった分、3つ の間に縛られて本来の自分の時間(ゆとり)が失われているのではない のかと思う、青。 “空間”としてもう一つなくなったと思うのが、ボール投げができるような 空間だ。 最近では公園に「ここでは、ボール投げをしないで下さい」という看板を 見かけたことがある。 ボール投げをする人のみが、公園を使うわけではないのでこの看板も 分からないではないが、やっぱり寂しいっちゃね。 「3つの間」が消えたのではなく、『』の取り方が変化してきているので はないのか!文明によって便利になった分、自分にとって良い“間”を考 えていきませんか!(^_-)v
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