石垣から学ぶ、

釣(と)ったぞー、」なる記事について心温まるお便りや声をいただき有り難うございます。早いもので、丸1年。お気に入りにされてる方々も重ねて御礼申し上げます。そうそう、長男等と夜の名古屋城下を探索したのもこの時期。お城の建設秘話が好きなところは「DNA」かと^_^;。

賛否両論されている「功名が辻」。歴史を分かりやすく、今の時代に紹介するという技はある意味「ウルトラC」だ。忠実に表現するばかりに「分かりにくい」とか、先の大河(義経)に出演した「タッキー」や来年の大河(風林火山)では「Gackt」が出演するようで、必死さは十分伝わってくる。

信長等を取り巻く「戦乱」物語が、時代を超えて魅せ、楽しませてくれることは深い意味がある。この点は何れ綴るとことにしようっと。

「功名が辻」では、西田敏行さんが熱演されている役の徳川家康。この家康が築いたのが名古屋城。石垣にまつわる先人の苦闘がその時代であれ物語っている。

戦乱に備えて、工期は約6カ月の突貫工事。加藤清正等20家の大名が従事。受け持ち区域の石積みが失敗した場合、藩取り潰しという緊張感。沼地での石の沈下を防ぐため、松の木を組み合わせた『胴木』を敷いている。

遠方から巨岩を運ぶために、船の胴をくり抜き、石を海中に吊り下げて進む、特殊輸送船も登場。完成したそれら「石垣」は、彼等の執念の結晶と言っても過言ではない。

学生時代、友等と学びあった敦煌。「砂漠の大画廊」と、謳われる敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)の壁画。故・常書鴻(じょうしょこう)氏は、その保護・修復に心血を注いだ。荒涼たる砂漠で、真冬は零下20度という過酷な地での生活。

砂や風の浸食から壁画を保護するため、先ず、植樹や土塀を造ることから始めた。先妻との別離や、二女の病死等の追い打ちも。。。(懐かしいですねぇー、こうやって書いていたら、物の見事に当時学んだことが次々と頭の中に出てくるし、友等の顔も同じように登場する。)

敦煌に残り、仕事を続けること自体が試練。当時の心境を、常氏は「人生は戦いの連続である…人生はその繰り返しだ。私は決して戻らない」と語られている。

地味でも良い!自らの立場で執念をもって戦い抜くから、その人こそ、輝かしい歴史の主役なんだと感じた日となる。

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