何をつくるか!、

大事をとった次男だが、少しだけご飯を口に含ませることができた。喉の痛みからか、喋れずにいる。本日学校では、各学年ごとによる保護者会が行われ、長男の学年においては、今夏の林間学校に対する説明会も併せて行われた。所用のため出席は出来ずにいたが、夕方遅くに学校へ行く機会が生じた大きな子供は、お連れさんと共に職員室へ赴き、お話しを伺ったようだ。

一緒に行かれたご婦人は、学校に足を入れることがはじめてとあって、さながら学校見学に。考えぬかれた保健室の「ドアの開閉」や、各教室前に展示されてあった作品を丹念に見入りながら、ふと窓から校庭を見つめては、「大賀蓮」について思い出したらしい。

泥炭層に眠っていた古代の蓮、約2,000年前の3粒の種子であった。それが、大賀 一郎博士により発芽されたことはあまりに有名な話し。

小さな種粒に秘めた古代のロマンは、汚泥の中から美を極める花が咲く。まさに生命の妙だ。実に感動且つ、示唆的である。

あの寺田寅彦をもってして、日頃の何気ない現象の観察、思考から自然の理、生命の妙技を随筆に描いている。そこには「睡蓮の話」がある。

…友人が作る睡蓮。

はじめ、この花の茎は、真っ直ぐ上に伸びる。つぼみの頭が水面に達すると、一度水中に没し、十分な準備を行い再び水面へ。そこに成熟した「花冠」を開く。自ら咲く場を測っての開花である。何とも教示的な生命のドラマである。

校庭に目をやられたご婦人は、明日の帰省を前に、地元での相談事象が再び脳裏を過ぎるのだった。家庭内の葛藤から離婚後、日々苦悶していた折、近所のお年寄りが矍鑠とした姿で叱咤激励しながら一緒にお味噌汁を啜ってくれたことを想い出す。

綺麗事抜きに現実は苦しいもの。

だがらこそ、『そこで自分に何をつくるか!それが必ず種となり、そこに幸せを開く』。…ココロに残る言葉ですと。

汚泥のような現実での苦闘。そこで刻んだモノが種子となり、汚泥を突き抜けて幸せの花を咲かせる。この確信と行動があって、苦難の「場」が、自らの人生劇場を証明する舞台となることを感じたのだろう。

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