奏でる歌声から、

今日は素晴らしい「妙音」を奏でられていた合唱団の歌声を聴く機会に恵まれた。地に足を付けては、一歩も日常生活という現実から逃避することなく、力強い姿勢はかえって頼もしさえ見受けられた。久し振りな「妙音」を耳に、小ぢんまりした規模ではあったが、大きな子供もその昔、地域の合唱団に席を置き、市のコンクールに出場し、長男の当時の妹分であった彼女とで応援しに行った出来事が走馬燈のように過ぎるのだった。(#^.^#)

マイ☆ボス マイ☆ヒーローでも、高校生活最後の想い出にと3年A組の27人がバンドを組むことに挑戦するシーン。

個々人のチカラを出しあって「ひとつの曲」を奏でる大切さにマッキー(長瀬君)が気付き猛烈に感動するシーンは、合唱も然りだが、企業組織においても、また家庭生活においても同じことが云えるのではないだろうか。

「個性の時代」と云う言葉の使い方を、使い・用い誤っている場面に良く遭遇する。

自らの心根にある「個」の意味は沢山ある。だが、その自らの「個」であれ、『ひとつ』のものに対し方向軸が向くことが出来れば、想像などかなわぬチカラに遭えるだから。

身近ゆえよく利用するマルエツ。なかでも納豆・豆腐のコーナーは連日賑わっている。健康ブーム(マチャアキにみのさんパワーも含め)もあってか、衰えることのない人気。

考えてみれば、この2つ、「字」が途中で入れ替わったと云われる説がある。「豆を腐らせた」のが納豆であり、「箱に納めた豆」が豆腐、だと云うわけだ。

しかし、これは俗説!

豆腐は中国漢代の発明であり、中国語で「腐」は、「柔らかくて弾力のあるもの」の意とし、大凡とする鎌倉時代、既に食卓に上っていたことが史実からも判明されている。

っま、納豆は、「寺の納所で作られた豆」と、云う説が有力のようだが。

学生時代(岩手)、教育専攻のお茶目で可憐な博士さん等に、農学部の食堂で、「豆腐作りの教育から、納豆作りの教育へ」と、云う話を伺った。(彼女等は今何処で活躍されていることだろう…)

豆腐は、大豆の原型がなくなり、全て「等質」になってしまう。一方、納豆は、豆の形が一つ一つ残り、しかも全体としてバラバラではなく、お互いに糸を引いてまとまっている。

「一人ひとりの良さ、個性を育て、しかも子供達のネットワークが出来る、納豆作りの教育だね!」と、語り合ったことは今も鮮明に覚えている。

「団塊世代」…「少子高齢化」等々、定まったキーワードが踊っている。とりわけ、「子供等」へ明確なメッセージを送り届け、待ったなしではあるが、「今日より!」という取り組みが始まっている昨今。

時に、子供等の成長と云うと、ともすれば均一の「人材像」を描き、全員をそれに近づけようとしてしまいがちだ。言わば「短所矯正」。

しかしながら、その「子」の「良い点」、「優れている点」を『探し』、『伸ばす「長所伸長型」』でこそ、全員が人財(材)となる。

個性を大切にした、「納豆型の育成」を粘り強く進めたい!

凜とした「妙音」を 耳に出来た今日という日に思い感じた。

PS、
4492531718_24492532013 ターナーの節目であり意義深い誕生日に、2冊の本をプレゼントする。どちらも遠藤 功氏の著作だ。「見える化-強い企業をつくる「見える」仕組み」では、物事の本質でもある原理原則を、「現場力を鍛える「強い現場」をつくる7つの条件」では、前作の「ヒトとの関わり」をキーワードにするのであれば、この本からは、王道たるコミュニケーションを学ぶ良い機会になればと思った次第。

新居を良い機会とし、旧態とする固定概念を、払拭出来る機会に恵まれていることを、どうか努々忘れることのないように上記本と一緒に添えたい言葉でもある。

「きっと!変われる!!」。また、変わっていく、『義務と権利』を併せもつことの重要性を心肝に徹しながら、日々・月々・年々と変わらぬ健康と無事故、ご家族のご多幸を心より祈っております。

Happy birthday to ターナー♪ (^_^)v

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