思いやりからの育自、

200609141手先の器用さは誰譲りかと。この「でんでん太鼓(江戸時代に流行っては、振鼓に模して小形にした玩具で、小さい張子の太鼓に柄をつけ、左右に鈴等のついた糸を垂れて、柄を持って振れば鈴は鼓面を打って鳴る、そうあれです!)」を、使用済みセロハンテープの芯等、全て廃材を再利用して制作。これがまたイイ音を出すんです。(#^.^#)

学校内で、彼なりに楽しんでいることだろう。

ただ、集中力の濃密と云ったら、役どころの桑野伸介にそっくりだ。

過日、優良・伊賀米のさらなる進化を追求されておられる南出さんご夫妻より、優衣ちゃんママを経由し、試食米をいただいた。

学校行事で、「米づくり」を体験しては今なお、四季の道沿いの農園?内に植えられている七小米を、友人T君等と探索・課題確認する日々でもあるだけに、今回の試食米を口にする際、彼なりに感慨深く感じたようだ。

幼い時分より長男には、ヒトの労苦について、ことあるごと話しをしては、心根のキャッチボールを行ってきている。

ヒトは、ヒトとの出逢いの折、ついつい心境が表に出てくるもの。とりわけ艱難に勇んでは満面な笑みを持つ苦労の友人と出逢った時、そのヒトの心根が鮮やかに、言葉や行動に表れてくる。

精鉱技師としてドイツから来日。後に東京大学・教授(東大在任期間中、渡辺 渡・野呂 景義などを教え、「日本鉱山編(明治13年)」、「涅氏冶金学(上冊と附図のみ刊、明治17年)」が刊行。

明治18年に帰国。帰国後も日本に関する、「日本の紙の蝶々」「日本のユーモア」を出版)となった、Curt Netto(クルト・ネットー、1847-1909年)。

天は二物を…云々ともあるが、画才もあり、鉱山暮らしで見た民情を絵に描く中に、ある種、胸を突く一枚がある。(おそらく多くの方も、同じ思いに立つのではと思う)

道で農民が、高位の役人と出会う。(そうです!あの絵です。)農夫は、過度の礼で背篭のジャガイモがこぼれ落ちる。

それでいて、役人は冷たく見下す。

絵は、その心象を物語っており、庶民思いのCurt Nettoには強烈に映った。

ヒトの労苦を如何に思いやるか!

それがココロを通わせ命を繋ぐ。

一度の出会いでも、生涯の「絆」にもなる話しはあまりにも有名だ。ナポレオンが、如何に『人心』を結んだのか。それを物語る一話がある。

たまたま知人と公園を散歩。すると向こうから重荷を背負い汗まみれの男が現れる。

皇帝との出会いにも、相手にはだまって近づく。

察すれば、ナポレオンは自ら道を譲る。なぜ、あんな労働者に!と驚く知人に、彼は昂然と以下のように語る。

少なくとも、あの重荷を尊敬せよ!

ヒトの労苦に、価値をみる名言に他ならない。

ヒトの労苦を思いやる

励ます

そこに「絆」も生まれてくる。そして労苦を評価し敬意を抱くことこそ、「絆」は、ともに発奮のチカラとなるのだから実に神秘でもある。

民のココロをパワーにした大発展も、仰っておられるこのココロと実践にあることだけは、確かなことなのだから。

今、秋田県小坂町で「クルトー・ネットースケッチ展」が開催の模様が紹介されている。

かつて日本3大銅山だった、小坂町の小坂鉱山の基礎を築いたドイツ人鉱山技術者、クルトー・ネットー(1847-1909)が町や日本の風俗を描写した「クルトー・ネットースケッチ展」が同町の町立総合博物館郷土館で開かれており、人々が銅山街の往事をしのんで鑑賞している。10月16日まで。

ネットーはドイツのフライベルク生まれで、1873(明治6)年、鉱山技術者として来日、同年12月に20代で小坂鉱山に赴任。明治10年に離町し、18年帰国した。ドイツ式の鉱石製錬法を導入してヤマの土台を築く一方、絵画にもたけ、日本の風俗や風景に興味を示し、繊細なタッチの絵筆で市井の人々の様子をスケッチした。

98年に町が遺族から購入した作品28点を展示。購入後初の全作品公開となる。いずれも小品で、淡い色調の水彩画。十和田湖の全景や暮れなずむ小坂町の町並みと森を対比させた風景画、人々の暮らしや葬列の一こまを描いた作品などが目を引く。毎日新聞 2006年9月8日より

クルトー・ネットーのスケッチ作品は、下記サイトものが観賞しやすいかと思います。→ こちらです!

PS、
4492521607勉強会参加の皆様へ。課題図書としていた、「大前研一 新・経済原論」は、ガッチリ熟読されては、関連項目については独自サーチと応用をマップに反映していて下さい。この著書はとても分かりやすい上、的確な視点である「鳥瞰・虫瞰」の法則に定まっています。(^_^)v

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