知る喜びを、

急な冷え込みからか、長袖の服をはおる。こんなに著しい温度差の時は、子供等の体調変化に用心。最近ご飯をよく食べるようになった2人は、まずもって今のところ大丈夫の様子だ。次男は、今日から国語の授業で、「月」なる漢字を習ったと、奇妙な書き方で練習帳に向かっていた。(#^.^#)

「ゆとり教育」の弊害を直に受けている高学年に対し、自分なりに注力してきたのだが、ここにきて「歴史(日本及び世界史を含め)」や理科で習得しなければ、何時身につけるのか、という項目を大幅に削除されては、何事もなく月日が流れていることに気付く。

目下、長男が日産自動車・追浜工場へ見学に行った際の課題として取り組んでいるレポートがある。

(   )年に、日産自動車が出来る。

↑これは一体何なのか?西暦なる年数を入れ、会社が「出来る」という言葉を容易く使うとは。設問者は、「設立」若しくは「創業」などの語を用いないのはなぜなのか。

他の生徒さん等は、自宅のPCで、日産社のHPを見ては、答えの項目に真っしぐら。(今や小学生もその領域ゾーンにドップリだ。)

「外人さんなんだよね、社長さんって。」

「…」

こんな会話を耳にして、見過ごすわけにはイケン!と、

長男はじめ、近しい友人さん等に、以下のような設問を作り直し、再度、図書館など興味を持つ「場」から調べ、「知る喜び」を味わうよう強く促すのだった。

 ※日産自動車がこの世に誕生した時代背景とし、

   国内では、どういう状況であったのか、

   また、同様に、海外では、

 ※自動車業界の国内・海外の歴史を併行して見ては、

 ※SONYには、井深大に盛田昭夫両氏、

   ホンダには、本田宗一郎に藤沢武夫両氏、

 ※日産では、どうだったのか、鮎川義介氏の存在は、

 ※なぜ、「技術の日産」と云われたのか、

…割愛するものの、やはり、「知る喜び」の醍醐味を味わらせたい。

「興味ない」とか「知らない」…「分からない」等々の言葉が日々否応なく耳に入ってくる。

「知らなくても、ちっともおかしくないヨ、」

この手の話題をクドクド記しても仕方ない。

ただ、重ねて『知る喜び』を味わうのに、年齢や立場など一切関係ないことだけは綴っておきたい。

本来子供は、必ず毎日「何か」を「発見」しては、「伝えたい」気持ちいっぱいで真っ正面からぶつかってくる。

気付いてあげて欲しい。

「伝えたい」気持ちを。

それでなくても、冷めた意識は、そう易々と戻らないんだから。

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