5年日記は、荘厳な人生絵巻

いつも若々しい気概をお持ちのある年配者さまが、年頭より「5年日記」を書き始めている。今年が2011年だから、この5年間で自分自身の「人生の総仕上げ」を日々したためていければと決意された。本当に頭の下がる思いでいっぱいだ。この5年日記は、とても書きやすく、何より新聞記事とかを貼れるスペースもあるので、青っちも学生時代を通し、筑豊の鈴ちゃんや芸達者な石井さんをはじめ、山口は宇部市在住の飛翔会生時代には、良く皆で日記なのに、まるで創作活動のように読み聞かせをしていたな。5年、5年と積み上げていくとたいそう立派なものになる。電子版やクラウド化などが流行ってはいるものの、「紙媒体」との関わり合いを全否定される方とは、基軸や根っ子がちがう青っちです。

ちょうどこの頃、Nifty通信を併行し行っていた。ジャックをつなげて通信を始めると、あの「ぴー、ひゃららー、じー」という独特の音と良く付き合っていた。今のように、LANケーブルをPCにつなげて「ハイ!つながった!(笑)」と、なるまでを考えるとそれぞれの技術者さん等の活躍あってのことだ。あれほど、高校時代には、キーボーを見るのも触るも嫌で、よく、進藤選手(あだ名ですが)に、チェリオをご馳走しては変わってもらっていたくせに、社会人デビューそのままな、青っちは、あっさりとある程度の言語を知り得た上で深掘りせず(ごめんなさい)、「桐」さんとガチなお付き合いをていた。当時からは想像できない一コマですけどね。

モールス信号に無線での会話は、小学2年生の頃にはもう取りかえしにつかないほど、はまっていた。ようは、機械いじりも好きだし、人と話すこと、相手がいま何を考え、それを伝えようとしているのか等々、すべてが完璧に分からなくても、自然体に大先輩なトラック運転手さんをはじめ、数々の先輩等に教えていただいた。あのワクワクする妙な好奇心を、ドラえもんのようなあたたかい目で見守ってくれた母には感謝であり、違う角度、いや、切り口を変えて話す父の気高い存在もあった。そんな青っちは、いつもの通り超おませであっただけに、この2年生の頃には、いっちょまいに「自分が将来結婚し、子どもと話す時は、まず、徹して聴く!トコトン聴く!すなわち、相手が話せる環境を徹底してつくっていく!」と、たどたどしい当時の日記もどきに書いている。

まさに、この青っちの『わ』で記していく中は、それに準じているというわけだ。(#^.^#)

そう言うことで、この「5年日記」と出逢った、19才の青っちは、今なお鮮明に覚えている。今日出逢った方が、しみじみと日記への決意を話されていた。青っち自身、その日記への思いをあらためて思い出させてくれたことにも感謝しています。有り難うございます。そして、いついつまでも変わらぬ、笑みの王女の如く、呉々もお身体を大事にされて下さい。いつも、海舟や地域の未来部に対し、真心のお菓子に大変感謝しております。有り難う!

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