古き善き時代、

「男女の出逢い」について、ってな話題に以前より、お話しをする機会が多いのだが、昨晩から結構突っ込んだ話題等を語り合った、古き善き時代の女性。恋愛と結婚との乖離等を是非や、家庭論から教育論など、恋のから騒ぎばりで大いに楽しめた。

例えば、

「女性を捨てないで欲しい!」と、青っちはよく云う。(ッア!大真面目に、面当向かって云うのは一人だけど!^_^;)

この場合の「女性を…」は、単に化粧や香水めいたって話で無いことは書くまでもないのだが。

何気なく交わす会話で感じて貰えれば。。。

出掛け際など、やるべき事、それも前もって知り得ることなので、先に事を行っておけば良いものを、「面倒くさい」が100%なところを、相手に対しては、「早く出掛けないと貴方に申し訳ないから」と、自己の面倒くささを棚に上げ、「私は貴方のために」と、起こすココロの行動は、既に女性を捨ててるって観点。

ちょいと難しいかなぁ。大丈夫だよね!

でも、生き方セレブ(ハートセレブ)を自然に振る舞われてる近しい方などは、青っちにすれば、正に『古き善き時代の女性』と、申し上げたい。

ドラマでもなければ、有名人等がってものでなく、ごくごく自然に自分に対し、また生涯の伴侶、そのご家族身内に対しても、同様で有り続けられる。

彼女は、「本当に『ことばって大切だよね!』」っと至言を放てば、
青っちは、『ココロこそ大切なれ』ですもんね!と。

また、「金太郎飴」を用いた青っち流の持論は、意表を突いたようでもあった。

家柄や環境、はては価値観などを含め、人生を価値ある生き方として歩んでいく中、幾仙の人生劇場が展開していこうが、どのような状況においても、その一瞬一瞬を「楽しめる」男女こそ、最高の伴侶であり、出逢うべくして出逢った男女である。

「分かり合える」、言葉は甚だ簡単に聞こえるだろうが、ちょっと突っ込んでみると、実にシンプルであり、分かりやすいものだったりする。相手を分かろうとする行為、何も男女間だけのものでもない。

対子供であれ、対友人であれ、対職場間でも同じ話だ。

相手のことを知っていこう、分かっていこうとすればするほど、自分自身がドンドン試されてくる。

そんな経験はありませんか?

恒例の「恋愛セミナー」で毎度申し上げることなんで、受講されてる方なんかは、「おぉー!そこそこってノリなんだろうが」。

「愛」と「慈悲」との相違。

これは、

「愛」Vs「慈悲」と書いた方が分かりやすいもんね!

ここでは、答えや「こうなんだよね」的なものは割愛しますが、この古き善き時代の女性との会話では、遂に、青っちの恋愛おける「恋の一方通行」方程式を初めて耳に入れさせてしまう。

かなぁーり、面白可笑しくも、真面目に考えて下さった。

やはり、今だからこそ、いや今からは、このような「古き善き時代の女性」に、出逢いを求める男女は、学ぶことは大きいこと、そしてこの領域も、お金では買えない世界であることを早く気付くべきだろう。

花嫁修業(家事手伝い)をするのであれば、それら一連の行動は「なんのため」との大義に真っ向から学び挑んでも貰いたい。

対する男性は、「脱・プライド」だ。今あるプライドを捨て、全く新しい自分オリジナルな「プライド」の構築を、真摯に行うべきだ。うんちくはいいし評論なんかはもっと要らない。

どう生きるか!

これまたシンプルだけど奥が深い。だけど、決してこの人生に無駄は無いんだから。

そ、出逢いにも、別れにも。無駄はないんだよね!(^^)v

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