対話の必要性、

今日(15日)だからといって「対話の必要性」をあげているのではない。ありとあらゆる箇所で、この「対話」のとするところを知らずに居られる方が多いことに驚く。

青っち流に云えば、

「対話」とは、自分よがりであってはならないし、我田引水でもない。対面(電話越しでも)の際、時には、双方が相容れず、時には相反するものも大きく包み込みながら、双方において、新しい考え(新しい価値を創り出していく)を創造していくものであると。

父の尊敬する先生がいつも云われていたようだが、「これから益々『対話』の時代になる!人と『語る』と云うことは、『戦う』と云うことであり、また、『結び合う』ということだ」とよくよく云われていたと聞く。全くその通りだ。

手紙やはがき(コメントめいたモノでなく)を書けない方が多いとよく目にする。メール等の利便性をついて、相手の文字や活字への思いに頭(考え)を巡らす機会が極端に低減し、且つ、自己中心的な思いが「個性」と勘違いされてるとこが可哀想でならない。

PS、
更新ないので健康を気にかけてた廣畑さんが、復帰しながらレイアウトなんかも変えちゃったりして、15日について持論を展開されてます。復帰ついでに遊びに行かれてみて下さい。<(_ _)>

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