リレー新聞、

長男は4コマ漫画、次男は折込チラシに大きな子供はTDL記事捜し。読み終えた各新聞紙面をそれぞれが手にして行う日課。その後、各自が気に入ったスポットを紹介し合うスタイルは頬笑ましい限りだ。その上で、朝日新聞の「声」欄は必ず読むように勧めている。

全くもって「老若男女」を問わず、世間で起きている事象についてや、自身の周辺で起きた現象を忠実に綴られては、朝から大いなる共感をもいただけるだけに正直言って何より嬉しい。

先月末(1月31日付)、朝日新聞「声」の欄に投稿された記事は、読むというか眼にした瞬間、自分のココロを熱っくさせてもらった。

入学前に娘の顔覚えた校長 平成18年1月31日(火)

八王子市在住 主婦(38歳)

東京に雪の降る21日、私立小学校にこの春入学する長女と学校に出かけた。制服の採寸をし、体操着やランドセルや教材を購入するためだった。真新しい制服を前にして、娘はとてもうれしそうだった。

帰りがけの校庭で、年上の女性が歩いてきた。少し前で止まり、娘の顔をじっと見て、声をかけた。「よしみちゃんね。雪の中よく来たね。4月に待っているよ」私はびっくりした。入試説明会であいさつなさった校長先生だったのだ。

わけが分からず、きょとんとしている娘に説明した。帰り道、娘は「何で私の名前を知ってるんだろう」と不思議がる。校長先生は娘と面識がないはずだ。きっと受験カードに張った顔写真と名前を結びつけて覚えたに違いない。

それにしても、100人を超す新入学児童全員の顔と名前を覚えてしまたっだろうか。この校長先生は通学路に毎朝立ち、登校して来る児童に「○○君、おはよう」と声をかけるのだと聞いたことがある。子供に注ぐ愛情を強く感じ、これからお世話になる学校に信頼を覚えた。

「…」

本当、気持ちよい情景が思い浮かぶ。しっかし、忠実な記事は、母親の愛情の深さを感じる。っで、この校長先生って、ひょっとして?!

そんな思いでいた矢先、一昨日付となる6日、某会合の席上で、この記事が紹介されている箇所に出逢うのであった。

…昨日1月31日付けの朝日新聞の「声」の欄に、「入学前に娘の顔覚えた校長」との見出しで、さわやかな記事が掲載されていた。八王子の女性からの投稿である。内容を紹介させていただくと。

この春、私立小学校に入学する長女の入学準備のため、雪の舞う1月21日、その方は長女とともに学校を訪問した。その帰りがけの校庭で、娘さんとは、まだ直接、会ったことのない女性の校長先生が声をかけてくれた。

「よしみちゃんね。雪の中よく来たね。4月に待っているよ」校長先生は、受験の際に提出された顔写真を見て、顔と名前を覚えていたのである。

その感動について、お母さんは、「子供に注ぐ愛情を強く感じ、これからお世話になる学校に信頼を覚えた」と綴っておられる。じつは、この小学校は、…小学校である。そして、校長先生は、…先生である。

1回の何気ない出合いかもしれない。ひと言の何気ない呼びかけかもしれない。しかし、その『小さなこと』を、一つひとつ大事にしていくことが、どれほど『大きな価値』を生み出していくことか。

小さな薬も、大きな効能を持っている。小さな種も、大きな木に育ちゆく。一つひとつ、真剣に、また丁寧に、そして忍耐強く手を打ち続けていくなかのみ、勝利の道が開かれるのである。

とくに、立場が高くなったり、いばる心が出てくれば、こうした小さなことに配慮できなくなるものだ。皆が何か困っていないか、苦しんでいないか、「分かろう」「知ろう」と常に努力していくしかない。

たとえ、何もしてあげられなくても、「あの人が分かってくれている」ということが、相手の力になることもある。「知らない」のは無慈悲である。

「知らないということは、発展しない、前進しないというにひとしい」。これは文豪ゴーリキーの洞察であった。指導者は、冷淡であってはいけない。…。。。

これぞまさに「リレー新聞!」 の醍醐味だ。(^^)v

ともあれ、ここでも「知らない」と言うことは、『無慈悲』だと言及されている。考えるキーワードでもあるだけに、見逃してはならぬ。

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